2014年07月10日
舞台の裏方やパレ
彼は毎日、オートバイで荒川と隅田川を渡って築地に通う。そこで色々な魚をさばいている。
まだ大阪にいた頃は、ひとりで鑑真丸という船に乗って中国へ渡ったこともある。向こうでどんな放浪をしてきたのか、関空に戻ってきたときは、着ている服はすっかり汚れて異臭を放っていた。
その後、家をとび出して北海道に渡った。流氷が来るという港町で、彼は熊の肉と行者にんにくの味をはじめて知った。
ディズニーランドでの、舞台の裏方やパレードの車の運転をきっかけに、いつのまにか関東に上陸していたのだが、いまだ水に近いところで魚のように泳いでいる。
ぼくも柴又は久しぶりだった。
飯田橋の小さな出版社に勤めていた頃、柴又の料亭で忘年会をしたことがある。みんなで帝釈天にお参りし、独身のぼくに、社長が破魔矢というものを買ってくれた。なにかいいことが起きそうな気がした。
だが、そのときの正月は惨憺たるものだった。暮れに食糧を買いそびれ、おまけに食堂はどこも閉まっている。さらに虫歯が痛みだしたが歯医者も休み。腹は減るが食べるものがない。たとえ食べるものがあっても歯が痛くて食べられない。最悪な正月休みだった。
Posted by ねぬはぬね at 10:39│Comments(0)
│weuriii